名を継ぐほどに、想いは強くなる。

歌舞伎や茶道、落語などの伝統的な世界で行われる「襲名制」。先祖や師匠などの先人の名前を継ぐことですが、梶謙製磁社でも襲名制が行われています。現在、代表を務める梶原謙一郎は4代目。初代は、明治期に活躍しました。囲碁などの娯楽を愛した初代。それを妻・サダが支え、盛り立てた歴史があります。

2代目は、若くして亡くなりますが、頭脳明晰な人物だったと伝わります。

3代目は、当社の経営に加えて、有田の未来を想い、町議会議員を40年近く務めました。明治、大正、昭和、平成、令和と受け継がれる名前。そして、焼き物、町への想いがあります。4代目は「名前を受け継いだぶんだけ、想いは強くなっている」と話します。

技術力が根付く土地、黒牟田。

江戸時代、有田の町は、佐賀鍋島藩の管理下におかれていました。各地区で作る焼き物は定められ、当社がある黒牟田地区では、型打角鉢および小判型皿が指定の製品でした。製法は「型打ち製法」と呼ばれるもので、型に陶土を打ち付けて作ります。

そのなかでも、2尺(約61cm)以上の大丸鉢は他の追随を許さないほどの高い技術力を誇りました。そのため、明治に入って各地区で自由に焼き物を作れるようになっても、その高い技術力を頼って、大皿・大鉢の製作依頼が途絶えなかったそうです。

また、黒牟田地区の国史跡『山辺田(やんべた)古窯跡』では、「古九谷」の色絵の陶片が数多く発掘されました。赤絵窯の跡が発見されたことで古九谷と呼ばれる初期の色絵の焼き物は、黒牟田産である事が確認できました。

黒牟田は、焼き物の高い技術が根付いている地。今日も、この黒牟田で、先人たちに思いを馳せながら、腕を磨いています。